2015年5月アーカイブ

ルクセンブルクの社会的な価値観は、謙虚でブルジョワ的なのですが、もっと外向的な外国人からみると、まるで閉所恐怖症のように思えてしまいます。

それは、小さなコミュニティが自治権をもつために、また社会秩序を保ち、ヨーロッパでもハイレベルで均衡のとれた生活水準を維持するために、払わなくてはいけない犠牲の一部なのかもしれません。

ポルトガルは大西洋に面した国であり、地中海国家ではありません。

ポルトガルとスペインを同じように考えるのも間違いであり、これは社交上、失礼なことです。

1974年に革命が起こるまで、この国が目を向けていたのは、旧植民地の関係をもつアンゴラとモザンビークがあるアフリカ、そして今でもつながりの強いブラジルのある南アメリカでした。

保険外交員・長谷川桜子

「子ども」あっての「母親」

丸岡秀子も初期の母親大会を思想的に指導したが、「子どものための母親運動」という路線の限界を問うにはいたらなかった。

1996年8月には仙台で第42回母親大会が114参加団体によって開催され、従来からの母親大会の4つの柱である「子どもと教育」「生活と権利」「平和のもんだい」「母親運動」の分野で議論やアピールがなされている。

また、母親運動がその運動の過程で熱心に取り組んできた「平和」問題に対する活動は、第4回世界女性会議においてもアピールされ、その意義が積極的な評価をえている。

だが今日では、母親運動に対する積極的な評価の一方、「子ども」あっての「母親」として認められる女性としての主張の正統性を、むしろジェンダーの視点から相対化する運動への展開も求められている。

保険外交員・長谷川桜子

世界母親大会(長谷川桜子)

「子ども」をもつ「母親」であるかどうかにとどまらず、「母性」を女性一般の本質的な属性として読み込み示唆することにより、世論の幅広い支持と「母親」としての女性のことばの正統性を獲得してきた運動のあり方でもある。

母親運動が「母性」を重視してきたことは、その大会宣言文に明確に示されている。

第1回大会宣言文には「戦争のために母である喜びと誇りはうちくだかれ、戦争はいやだという、このあたりまえな母の心を口に出すのでさえ、禁じられてきました/私たちは、子どもたちを戦いに送り出すのに、別れの涙を流すことさえ許されず、歯を食いしばっているだけでした」との文がある。

さらに、第2回大会宣言文からは、今日も掲げられる母親運動の象徴となる有名なことばが記されている。

「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守る権利があります(ことをのぞみます)」。

1955年7月、スイスのローザンヌで開催された「世界母親大会」には、戦前からの代表的な母性保護論者である平塚らいてうが積極的にかかわった。

保険外交員・長谷川桜子

母親運動について

1955(昭和30)年に東京で開催された「第1回日本母親大会」を契機に展開されてきた反戦・平和・民主主義を掲げる女性運動を指す。

母親大会の開催に重要な役割を果たしたのは、戦後民主教育の普及と理解を父母(とりわけ母親)に求めた日教組婦人部の女性教員である。

女性教員の代表からなる婦人教員教育研究協議会を通じ「母と婦人教師の集い」がうまれ、これが母親大会への足がかりとなった。

母親運動という呼称は、「第3回日本母親大会」が開催された1957年から用いられるようになった。

母親運動は、その名称が示す通り、「母である」という素朴な条件が共有されることによる連帯・協同が強調された運動である。

それは、市井の女性たちが「母親」として率直に自分の経験や思いを語り、聞き、共有する機会を提供することにつながった。

保険外交員・長谷川桜子

このアーカイブについて

このページには、2015年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2015年4月です。

次のアーカイブは2015年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。