調整するときは、常に優先順位をつける。

患者の診療を除くと、(1)子供、(2)大学院、(3)夫、これが現在の優先順位である。

かかえている仕事を緊急に減らす方法としては、小さい仕事の順に、私より適任者がいないか、誰か代わりがいないかと思いをめぐらして、いれば頼み込む。

また、今引き受けている仕事が減らせないときは、「○月までは新しい仕事は引き受けないそ」と誓う。

なるべく同じ過ちをしないように誓いをたてるだけでも気持ちが落ち着く。

この誓いをさりげなく同僚にいっておき、仕事を頼まれないような雰囲気をつくるのである。

ただし、その誓いは「○月まで」と期間を決めておく。

断わりつづけること自体がストレスなので、期限つきのほうが誓いやすいからである。

また、そんなときは、職場の休み時間などに「家庭と仕事がうまくまわらない」と同僚やスタッフに正直にぼやく。

自分が限界を感じる前に、小出しにぼやくとよい。

職場は、看護師をはじめとして働く女性が大勢いるので話も聞いてくれ、適切なアドバイスもあり、救われることも多い。

保険外交員・長谷川桜子
仕事と家庭に費やせる時間は、トレード・オフの関係だと思う。

どちらかに時間を費やせば、もう一方のために使える時間は少なくなってしまう。

どちらかをがんばれば、一方がうまくゆかない。

だから落ち込むことになる。

でも立ち直る。

ずっとその繰り返しである。

今では、どちらかに偏っている時期があっても気にしないことにしている。

ずっとそうなのだから。

ブログ筆者の「両立できず落ち込むとき」とは、仕事では、

(1)患者にベストの医療が提供できなかったとき

(2)締め切りのある仕事で遅れることがはっきりしたとき

(3)職場にとても迷惑をかけたと思ったときなど。

家庭では、

(1)子供や自分が体調をくずしたとき

(2)家事や子供の世話がまったくできないほど自分が疲労しているとき

(3)私が担当の家事ができてないと夫にいわれるとき

(4)家の中がちらかっているとき、などである。

夫(会社員)に愚痴をいうと「君は仕事をしすぎる」といわれる。

これでもほかの医師より仕事量は少なくしているつもりなので、いっそう悔しくなる。

しかし、自分の限界を超えているのも確かなので、夫のひと言をきっかけに調整することになる。

保険外交員・長谷川桜子

経済的エンパワーメントの機会

女性が5人1組で連帯責任を負い、融資をうけるシステムで、貧しい女性も事業資金の融資が受けられ、経済的エンパワーメントの機会が広がった。

また、住民不在の開発を阻止した例として、インドのチプコ運動がある。

チプコとはヒンディー語で「抱擁」という意味で、女性たちが自らの体を張って木を抱きしめて伐採を阻止し、村の共有財である森を守った草の根の運動として知られている。

女性が主体的に組織化を図った例としては、インドのSEWA(女性自営業者協会)の活動がある。

SEWAは、行商や内職などインフォーマルセクター(非公式部門)で働く女性たちが、自らを「自営業者」として職業的に位置づけて組織化を図り、協同組合事業、融資、職業訓練などを行った女性の「自立・自助」の具体例である。

保険外交員・長谷川桜子

近年では世界的に、開発過程における女性の役割だけでなく、ジェンダー間の関係の変化に着目する必要性が認識されるようになり、それに対応する開発アプローチとしてGAD(ジェンダーと開発)が登場した。

WIDが女性に欠けている教育訓練や雇用へのアクセスを高めることで「開発における女性」の問題の解決を図ろうとするのに対して、GADはジェンダー間の不平等な権力関係やその背景となる社会・経済構造に着目し、不利な立場にいる女性、男性のエンパワーメントの促進を通して、社会関係の変革を図る戦略的なアプローチである。

開発に関連した女性のエンパワーメントの事例として、バングラデシュで1970年代後半から始められたグラミンバンクがあげられる。

保険外交員・長谷川桜子

開発と女性 (women in development)

「開発における女性の役割」の重要性を認識した研究や開発・援助プログラムのことをいう。

日本語では「開発と女性」と訳され、開発を女性の立場から見直し、女性が受益者としてだけでなく主体的な担い手として、開発過程のあらゆる段階にかかわることを重視するアプローチをとる。

1950?60年代の開発途上国への開発・援助の進展のなかで、開発が必ずしも途上国の女性の生活を改善せず、むしろ開発過程から女性が排除され周辺化される状況がみられた。

70年代に入ると、社会・経済開発が女性に及ぼす影響への関心が高まり、「WID(開発と女性)」をめぐる問題が検討され始めた。

WIDはとくに初期段階では「開発過程への女性の統合」を重視し、雇用や教育機会の拡大によって女性の生産者としての能力の開花を図り、女性を開発過程に取り込んでいくことで、開発の「効率性」を高める点に重点がおかれた。

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女性問題の解決(長谷川桜子)

女性問題の解決には、男性の意識や生活スタイルの変容が不可欠であるとみて、男性対象の講座の企画を採用するところも増えている。

第4回世界女性会議後、各地で男女平等社会実現にむけて、新たな女性センターの建設や機能充実を求める多様な活動が展開されている。

女性センターが啓発活動や活動支援の場所を提供するにとどまらず、女性のための各種相談事業や政策課題を具体化するためのセンターとして、地域でより積極的な役割を果たすことが期待される。

適切な情報を収集・発信し、活動グループや市民事業のネットワークの拠点として機能すること、さらには地域でさまざまに展開される女性問題関連政策や事業を総合的な視点から統括するセンターとして機能することも求められよう。

1995年4月には、各地の女性センターのネットワークを進める年報『女性施設ジャーナル』((財)横浜市女性協会編 )も刊行された。

保険外交員・長谷川桜子

家庭医療の現場

「幼児でもちゃんと理解できるんだよ」という主治医のアドバイスも受け、うそはつかずすべてを打ち明けることにした。

あるとき「お母さん、もうすぐ髪の毛がなくなっちゃうけど心配しなくてもいいんだよ」と子供にいった。

すると2歳の三男がどこから持ってきたのか薬を差し出した。

「おかあさん、お坊さんになるといけないから、これ飲みなさい」、子供たちが私を思いやってくれるのを感じずにはいられなかった。

闘病生活は誰でも経験したくはない。

でも、家族ではなく自分自身の病気だったこと、患者さんの視点をすこしはもつことができたこと、家族や夫婦の絆を感じたこと、医師としての自分を見つめ直せたこと、など幸運を感じることも少なくなかった。

もうすぐ私はその経験を背中にしょって、家庭医療の現場に復帰する。

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前向きな自分探し(長谷川桜子)

大部屋で、私と同じ癌患者さんと話をしていると、私と同様に「前向きな自分探し」をしていることに気がついた。

「子供のサッカーの試合を見にいきたい」、「夫婦で旅行がしたい」、「仕事に復帰したい」と目標をもっている人の表情は明るかった。

何でもいいから目標をもつこと。

そこで私も自分なりに「子供に早く会いたい」、「遠足に一緒にいきたい」と目標を短い間隔で立ててみることにした。

目標は達成しなかったこともあったが、どうにか私は乗り切る力を先輩患者さんから受け取ったような気持ちがした。

これらの経験を通して、それまでの自分が医師としてその思いに応える手伝いができていたかと大いに反省した。

もう一つ心配なことは、子供にはどう病気を伝えればよいのかということだった。

保険外交員・長谷川桜子

絶対にめげない精神力

家族は医師の夫と4歳、3歳、2歳の子供たち。

当時は大学病院を辞め、夫と実家の小規模病院で働きはじめたところだった。

よくいわれるような「頭の中が白くなった」のは術前の検査結果の説明のときだった。

腋窩リンパ節転移という状況は私の想像を超えており、術後のことや治療の副作用、子供の先行きのことなどが瞬間的に脳裏に描かれた。

病室に帰って泣いた。

夫婦で泣いた。

とてつもなくつらかったが、このときの夫の涙は私の支えとなった。

子供たちのことはとても心配だった。

だからこそ、私はこの先何が起こっても絶対にめげない精神力だけは身につけたかった。

病気の急な変化・副作用、どんなことがあっても逃げ出さないために、いつでも前を向いていられる自分を探す必要があった。

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急な入院のとき(長谷川桜子)

急な入院のときは、仕事の調整も一人では十分できないことが多く、あとは管理者や上司にまかせることになったとしても、それは仕方のないこととして割り切ってよいだろう。

入院という不測の事態では、完壁にはできないのが当然である。

あとで心からのお礼をいえば、それでいいのではないだろうか。

家事・育児は、ブログ筆者の場合、家政婦を雇った。

非常事態であるので満足する状況は得られないかもしれない。

「問題が出たらそのとき考える。あとは家族にまかせる」そういった開き直りをもつことが必要とされる。

「あら、これは本物かも」

私は、前から気になっていた胸のしこりに自分で超音波をあててみた。

33歳乳癌患者となった瞬間だった。

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ダイナミックな人間関係

学校の役員会や学級の懇談会で、あるいは地域行事のなかで、スポーツの試合など親同士のかかわりのなかにいると、その親が単なる一患者として、あるいは子の親として診察室に現れるときとは異なる経験となる。

それは職場とは別のダイナミックな人間関係を味わうことにもなり、自らの診療活動にも大きな学びになる。

また、学校行事に参加の機会が増えれば、教師と知り合いになり、医師の仕事にかかわる学校側の問題についても意見を出しやすい。

子供とかかわりのない地域活動、たとえば文化教室、ボランティア、スポーツクラブなどに参加することは、人間関係が複雑でないぶん居心地がよい。

仕事とは別にそのような機会がもてるならば、参加するとよい。

保険外交員・長谷川桜子

どうしても、夫婦いずれも参加できないときもある。

その場合、子供には事前にその理由と時間さえとれれば次回は必ず参加することをきちんと話しておく。

また、親(子供にとっては祖父母)に代わりに参加してもらう場合、ビデオ撮影をしてもらって、あとから家庭で皆でそれを見ながら感想を述べるとよい。

たいせつなのは、子供と感動を共有することである。

また、バザーなどでは、当日に参加できなくとも、出展するものを子供に示しながらつくるだけでも、子供と気持ちが共有できるものである。

ともすれば、「自分の子供のために職場に迷惑をかけるので休みを申請しづらい」と考えてしまいがちであるが、以前のブログで紹介で紹介のように子供を知る機会でもあり、なんとか時間の調整をして、一部分だけでも参加するようにしたい。

保険外交員・長谷川桜子

教室に飾られた子供の絵から学んだこともあった。

保育園・幼稚園・学校などでは、定例の行事は年間で予定が組まれており、年度当初に予定表が配られるので、早めにスケジュールをあけておく。

自分の年間の予定を決める際には、行事の多い曜日を"研究日"などにあてておくと比較的融通がききやすい。

また、早めに代診や担当の変更を頼んでおくとよい。

("研究日"は、研鐙を積むために、週に半日?1日設けられた自己学習の日で、図書館で文献を調べたり、研究活動にあてられる。すべての病院にこのような制度があるわけではない。)

PTAの役員などは自分でできる範囲で引き受けるとよい。

頻回に会合が必要な役員ではなく、年に数回程度の活動ですむ役員だと引き受けやすい。

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子供の行事で親の参加が必要なものは意外と多い。

地域の祭や子供会、バザー、授業参観、懇談会、PTA活動、登校児童の保護、音楽会、運動会、遠足、などなど。

しかし、仕事の合間をぬってこれらの行事に参加するのはなかなか困難である。

まして平日の行事が多い幼稚園などでは、よほど早めに予定を立てておかないと参加はむずかしい。

しかし、これらの子供の行事に参加することは、集団生活のなかでの子供の様子を見たり、担任の先生と話をしたり、他の親と交流したりするチャンスでもある。

ブログ筆者の場合、仕事の都合で参加できないことも多かったが、行事に参加することで、家庭では見られなかった子供の人間関係、学校での様子、興味の対象などを発見し、子供へのかかわり方のヒントを得ることができ、親自身の学習にもなることに気づいた。

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女性医師の名刺

名刺はパソコンで簡単につくれる。

仕事用とは別の個人用の名刺で不特定多数の人と交換をする機会が多い場合には、自宅住所の記載は慎重にする。

また、外国にいく機会がなくても、学会等で外国人に名刺を渡すこともあるので裏面にはローマ字表記を入れていたほうがよい。

女性用の角が丸い小振りの名刺は現在ではほとんど用いられない。

女性用の名刺入れはコンパクトで枚数があまり入らないものが多い。

学会の懇親会などで多くの人と名刺交換をすることが予想される場合は、予備を別に持っていったほうがよい。

なお、名刺交換時には、ビジネスの世界ほど厳密なマナーを必要としないにしても、座っていれば立ち上がり、目上の医師からであれば先に差し出し、すぐにはしまいこまずに目を通すようにはしたい。

保険外交員・長谷川桜子
夫婦が同じ職場で働くことは、自営業ではよくみられるが、一般企業ではあまり好まれない。

職場結婚した場合、妻が退職することが慣例という話もよく聞かれる。

それだけ、いっしょに働く人がやりづらいと感じているからかもしれない。

一方で、医師夫婦が同じ職場で働くことは案外多い。

たとえば、診療所で内科と小児科をそれぞれ担当したり、また同じ病院で勤務することもあるだろう。

同じ職場で夫婦が働く場合、互いに職場の同僚としてふるまうことがたいせつだ。

知らない人が見たら夫婦とはわからないような接し方をする。

夫婦にキャリアの違いがあるとき、場合によっては夫婦間で敬語を使う必要もある。

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国内行動計画

国際婦人年とそれに続く「国連婦人の十年」以降、節目ごとに提示される国連の女性政策のガイドラインに基づいて、日本政府が女性の地位向上に向けて取り組むべき具体的課題や目標を明示した総合計画を指す。

最初の国内行動計画は、1975年の国際婦人年世界会議で採択された「世界行動計画」を受け、77年に策定された。

次いで、85年の「国連婦人の十年」ナイロビ世界会議で「ナイロビ将来戦略」が採択されたのを受け、「西暦2000年に向けての新国内行動計画」(「新国内行動計画」)が策定された。

さらに、89年に国連社会経済理事会で「ナイロビ将来戦略の実施に関する第1回見直しと評価に伴う勧告及び結論」が採択され、日本政府も翌年、「新国内行動計画」を「新国内行動計画(第1次改定)」
へと改定した。

こうした計画の策定は、具体的には、総理大臣の諮問を受けた「婦人間題企画推進有識者会議」(1994年から「男女共同参画審議会」)の答申を受けて、ナショナル・マシナリー(国内本部機構)である「婦人間題企画推進本部」(94年から「男女共同参画推進本部」)が行い、また、その事務局を総務省の「婦人間題担当室」(94年から「男女共同参画室」)が担っている。

計画の策定にあたっては、「52団体」(当時)をはじめとする女性NGOの要望や提案もあり、具体的な数値目標なども盛り込まれた。

保険外交員・長谷川桜子
貧困の女性化、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、アンペイド・ワークなど、行動綱領に盛り込まれた諸問題は、NGOの女性にとっても重要なテーマであった。

そこで、CSW(国連婦人の地位委員会)は行動綱領の草案作成の段階から、NGOの女性たちから意見を求めるという方法をとってきた。
具体的には、1992年から4回の準備会合を経て、世界の5つの地域で地域準備会合とNGOの会合が開催され、地域ごとに提言書がまとめられ、それらすべてが第4回世界女性会議での討議に集約されていったのである。

アメリカのべラ・アブザクが率いるWEDOなど国際的な女性NGOが、こうした機会をとらえ広範な提言を行ってきた。

保険外交員・長谷川桜子

冷蔵庫のスペース

一般調味料の点検です。

残りが3分の1ぐらいになったとき、必ず新しいものを購入します。

こうすれば、料理の途中でなくなることを避けられます。

主菜・副菜・調味料とメモを分けて書くことは、マーケットでは肉・魚・野菜などと棚が分かれていますから、その部分ごとで買い忘れがないようにするためです。

ブタ肉がメモの一番上にあり牛肉が下であると、つい忘れて次の部所へいってしまいます。

そして最後にふたたび肉のところへもどるという動作の無駄が出ます。

メニュー作りからメモまでは、一連の作業です。

ここまでできれば、買い物はとてもラクになります。

1週間分とはいかなくても冷蔵庫のスペースに合わせて、3日分、4日分と決めるとよいでしょう。

「1度買いは重くてたいへん」という人もいます。

保険外交員・長谷川桜子
計算上は、3食×7日の21回ですが、朝食はパターン化していて、卵ですから、お昼と夕食を決めるだけです。

お昼が外食の場合は、たった7種類だけとなります。

次に野菜料理ですが、1日分で4、5皿分が野菜です。

その3分の1以上は緑の野菜であることが望ましいので、購入する量は、ほぼ見当がつきます。

ここまで細かくしなくても、主菜だけは決めるとよいでしょう。

そして冷蔵庫の横にでも、それをはっておきます。

主菜さえ決まっていれば、副菜はマーケットへいってからでも、主菜がこれだから副菜はこれ、と案外かんたんに決まります。

主菜が決まれば、それをメモします。

副菜を次にメモします。

その次にすることは、その週のメニューで特殊な、家にはおいていない調味料を使うかどうかの確認です。

使うのであればメモします。

保険外交員・長谷川桜子

"表"をつくる

毎日マーケットにいくチョコチョコ買いは時間的にも労力的にも大きな無駄です。

なぜチョコチョコ買いになってしまうのかは明白です。

"メニュー計画"ができていないからでしょう。

多くの人が、「メニューを考えるのはたいへん。同じものが重ならないようにするのもひと苦労」といいます。

でも、メニューは毎日考えるからたいへんなのです。

その日その日で決めていくから重なってしまうのです。

メニュー作りは、1週間分ずつおこなうとよいと思います。

私は"表"をつくります。

月曜日から日曜日まで朝・昼・晩と区切り、メニューを書きこめるようにします。

まず主菜(タンパク質のおかず)を1週間分、21回分決めます。

保険外交員・長谷川桜子
スーパーマーケットへいくと、いつも不思議に思うことがあります。

メモをもっている人がとても少ないのです。

みなさん食品棚の前にジーッと陣取っています。

たぶん、「今日のおかずは何にしようか......」「おミソ、まだ残っているかしら」などと考えているのではないでしょうか。

たった一人分の購入であっても、私などはメモがなければ買い忘れてしまうことがあります。

まして数人のご家族の方など、メモがなくては、必要なものを忘れずに購入することはできるはずがないのです。

買い物の量が2、3点と、とても少ない人たちも大勢います。

どの家庭でも冷蔵庫は大きくなりました。

1週間分とはいわないまでも2、3日分の家族の食品ははいるはずで、その日使うものだけを買うのか、「昨日、アレを買うのは忘れた」と購入しているのかもしれません。

保険外交員・長谷川桜子

新婦の父親の謝辞

「私は新婦、朝子の父親の渡辺〇一郎でございます。

本来ならば新郎の父がご挨拶すべきところでございますが、あいにく病床にあり、本日の出席がかないませんでした。

私が親族を代表いたしまして、一言ご挨拶を申し上げます。

本日は皆様方ご多用中のところを、若い二人のためにご参集くださいまして、まことにありがとうございました。

かくもなごやかなうちに、めでたく結婚の披露宴を行なえましたのも、媒酌の労をおとりいただきました鎌田様御夫妻をはじめ、皆様方のおかげでございます。

心より感謝いたしております。

厚く御礼を申し上げます。

その上、数々のお祝辞やご教訓を頂戴いたし、両人には身にあまる光栄と存じております。

これからは二人で力を合わせて生きていくわけでありますが、未熟で力不足の二人でございますから、今後も皆様方のご教示を仰がねばならぬことが多々あることと思います。

どうぞ皆様方、今後ともどうぞよろしくご指導、ご燵のほどお願い申し上げます。

こうして多数お集まりいただきましたのに、なにかとゆき届かぬ点も多く、ご無礼があったかと存じますが、どうぞお許しくださいますようお願い申し上げます。

なお新郎の父からは、心ならずもの不参を、皆様方に深くお詫び申し上げるように、との伝言でございました。

本日は、まことにありがとうございました」

保険外交員・長谷川桜子

星祭とは(長谷川桜子)

七夕は、もともと旧暦の7月7日の行事ですが、現在の都会では新暦の7月7日、地方によっては月おくれの8月7日におこなっています。
6日の夕方、笹舟などの飾りつけをし、7日朝に川や海へ流します。

これを「七夕流し」あるいは「七夕送り」とよんでいます。

七夕の行事には、複雑な要素が混じりあっています。

ひとつの流れとしては、歴史の表面にあらわれた都市風の七夕行事で、中国伝来の星祭と乞巧璽にもとつくものといわれています。

星祭は、陰暦7月7日の夜、織女が天帝に許されて天の川を渡り対岸にいる夫の牽牛と1年のうちにたったいちどのデイトを楽しむというものです。

そのとき、カササギが翼を並べて天の川に「かささぎの橋」を渡し、夫婦星のデイトを助けたといわれ、いわゆるロマンティックな説話で知られています。

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職場委員会

有限会社(ソシエダーデ・フォール・クォータス・デ・レスポンシビリダーデ・リミターダ)は、オーナーによって任命された取締役によって経営されています。

他には役員や重役会はありません。

職場委員会には、財務上の情報や雇用条件について、調査をしたり発言をしたりする権限が与えられています。

革命は、ポルトガル人の社会生活、政治生活の多くの面に変化をもたらしましたが、行政サービスやその方法は、実質的には変わりませんでした。

国営の大企業は、派閥主義が強く官僚的です。

それにくらべて小さい会社や民間企業は、同族会社のスタイルをもち、体系的には組織されていません。

保険外交員・長谷川桜子
革命以降民間セクターにおいては、数少ない一部の家柄が、再び発言力を高めようと支配を続けてきましたが、一握りの新しい企業家たちが、彼らの覇権に対して挑戦を始めています。

株式会社であるSA(ソシエダーデ・アノーニア・デ・レスポンシビリダーデ・リミターダ)は、伝統的な会社組織であり、役員会(コンセーリョ・デ・アドミニストラサン)と、株主の代表で構成される監査役会(コンセ:リョ・フィスカル)を有しています。

もっと近代的な会社には、総合委員会(コンセーリョ・ヘネラル)が任命した五名以下の役員で構成される経営幹部会(ディレサン)があります。

後者は、株主総会で選出されます。

また株主から法定監査役(レヴィゾール・オフィシアル・デ・コンタス)が任命されますが、これを独立した監査役と混同してはいけません。

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ポートワインの貿易

例外だったのが、イギリスで、これはポートワインの貿易による強い結びつきでした。

一つだけスペインと共通しているのは、政治体制の変化やECへの加盟により、ヨーロッパに向けて180度の方向転換を行ったということです。

1974年の革命以後、主に繊維や化学製品、造船と船の修理、などの産業、および銀行の国営化が行われました。

国は約70の企業を直接に所有し、さらに80の企業を間接的に所有しており、これだけで国全体の産業の資産の50%を占めています。

現在このような状況は、1989年に始まった民営化プログラムによって、解体されつつあります。

最近の法律では、現在、個人による企業の100%所有が可能になったかもしれませんが、国は相変わらず、51%を保持しています。

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ルクセンブルクの社会的な価値観は、謙虚でブルジョワ的なのですが、もっと外向的な外国人からみると、まるで閉所恐怖症のように思えてしまいます。

それは、小さなコミュニティが自治権をもつために、また社会秩序を保ち、ヨーロッパでもハイレベルで均衡のとれた生活水準を維持するために、払わなくてはいけない犠牲の一部なのかもしれません。

ポルトガルは大西洋に面した国であり、地中海国家ではありません。

ポルトガルとスペインを同じように考えるのも間違いであり、これは社交上、失礼なことです。

1974年に革命が起こるまで、この国が目を向けていたのは、旧植民地の関係をもつアンゴラとモザンビークがあるアフリカ、そして今でもつながりの強いブラジルのある南アメリカでした。

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「子ども」あっての「母親」

丸岡秀子も初期の母親大会を思想的に指導したが、「子どものための母親運動」という路線の限界を問うにはいたらなかった。

1996年8月には仙台で第42回母親大会が114参加団体によって開催され、従来からの母親大会の4つの柱である「子どもと教育」「生活と権利」「平和のもんだい」「母親運動」の分野で議論やアピールがなされている。

また、母親運動がその運動の過程で熱心に取り組んできた「平和」問題に対する活動は、第4回世界女性会議においてもアピールされ、その意義が積極的な評価をえている。

だが今日では、母親運動に対する積極的な評価の一方、「子ども」あっての「母親」として認められる女性としての主張の正統性を、むしろジェンダーの視点から相対化する運動への展開も求められている。

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世界母親大会(長谷川桜子)

「子ども」をもつ「母親」であるかどうかにとどまらず、「母性」を女性一般の本質的な属性として読み込み示唆することにより、世論の幅広い支持と「母親」としての女性のことばの正統性を獲得してきた運動のあり方でもある。

母親運動が「母性」を重視してきたことは、その大会宣言文に明確に示されている。

第1回大会宣言文には「戦争のために母である喜びと誇りはうちくだかれ、戦争はいやだという、このあたりまえな母の心を口に出すのでさえ、禁じられてきました/私たちは、子どもたちを戦いに送り出すのに、別れの涙を流すことさえ許されず、歯を食いしばっているだけでした」との文がある。

さらに、第2回大会宣言文からは、今日も掲げられる母親運動の象徴となる有名なことばが記されている。

「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守る権利があります(ことをのぞみます)」。

1955年7月、スイスのローザンヌで開催された「世界母親大会」には、戦前からの代表的な母性保護論者である平塚らいてうが積極的にかかわった。

保険外交員・長谷川桜子